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So Much for Unconditional Love
「愛」
という言葉を
口にする時 決まって
他人の靴を
間違って履いたような
気分になった
だから極力 言うのを避けた
使い慣れない言葉だから
その意味がよく
わかっていないから
昭和の日本人だし なんて
言い訳はいろいろ
取り揃えて でもほんとは
ずっと前から知っていた
私が持つ「愛」は
空気に触れると
うしろめたさで すぐ酸化する
パチものだから
なのに私は いちど
それさえ出し惜しんで
無条件ってわけじゃないんだからと
言ったことがあるのです
病人にむかって


こんなこと 
告白したからといって
おとぎ話の仙人が現れ
ピカピカの
一流の
「愛」を授けてくれる
なんてこと 決して
夢にも
思っておりません



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「愛」って なんですか




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( 2012.08.19 ) ( memory lane ) ( COMMENT:14 ) ( TRACKBACK:0 )
郷愁の胸やけとアユ
ともだちはある日突然この家に来て、なんにちか寝起きしたあとまた突然いなくなった。
いつものことだけど、その後しばらくアタシは、上映の終った映画館にぽつんとひとり居残っている気分の中で過ごす。

それは「ホームシック」なのか「郷愁」と呼ぶものなのかよくわからないけど、その間の、後悔に似た胸やけみたいな居心地悪さの中でふいに、すっかり忘れていた昔のことが匂いや音や手触りも含めてものすごく鮮やかに目の前に現れることがあって、それは「思い出」というにはあまりにはっきりとホンモノなので、アタシはけっこうこれを歓迎して「降臨」などとおおげさに呼んだりしている。

で、今回それは「アユ」。子供の頃からオトナの食べ物が好きだったアタシは、高校生のころ、学校帰りに友達を家に呼んで焼きなすにショウガ醤油なんておやつを作って食べたりしていた。それはたぶん母が小料理屋をやっていた影響で、春には鯛の桜あんや鰹のたたき、夏になるとハモなんかもよく食べた。中でもアユは大好物だった。

夜中に天井を見てたら突然、きゅうりによく似たアユの匂いがした。母が横に立っていて白い発泡スチロールの小箱を開けたのだった。みどりに光る身体はヌルヌルしていて、ああこれのせいでアユはものすごく早く泳げるんだなあと勝手に納得した。母は片手で限りなく優しく包むようにアユを持ちながら、もう片方の手で冷ややかに銀の串をつき刺した。「盛りつけた時、頭が天を向くように、跳ねてるみたいに打つのや」と目を手元に落としたまま母が言う。

次の瞬間アユはもう焼けていて、金色の鰭にまぶした塩も程よく焦げて香ばしい匂いがたっている。川魚の特徴なのか、繊細そうな見た目に似合わず皮は厚く強靭で強火で焼いても壊れることなく、その皮に守られた身は眩しいくらい真っ白で柔らかくて、焼きたての熱々なのになぜか涼しい匂いがする。それを先の細い華奢な箸でひとつまみ、たで酢にちょいと浸して食べる。うんま~い。あ、そういえばお腹のところの、脂に包まれたほろ苦い部分、あれもおいしいんだよなあ。

いま母に、これから飛行機に乗るからアユ焼いて、と電話したらなんて言うだろうか。
案外、はいはい、と静かな答えが返ってくるのかもしれない。



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( 2012.07.15 ) ( memory lane ) ( COMMENT:6 ) ( TRACKBACK:0 )
駅前、午後9時
マンハッタンまで出かけた帰り、J線の地下鉄に乗った。
トンネルではなく地上に出て橋の上をブルックリンに渡る線。
駅は高架になっていて、長い鉄の階段がついている。


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階段を半分降りたところで見つけた、母子らしいふたり。
それぞれ違う方向を向いて立ち尽くしていた。


小さいころ、いつもどこかうわの空に見えた母のことを
この後 あれこれ思い出しながら小一時間、
ゆっくり家まで歩いて帰った。






( 2012.06.10 ) ( memory lane ) ( COMMENT:6 ) ( TRACKBACK:1 )
たまには長電話
母と久しぶりに長い電話をした。
アタシが小さいころどんなに幼稚園を嫌がったかという話になった。
(もう昔に何回か聞いた話だけどそれは母には言わないでおく)

仕事を持っていた母は、
「そこの角まで送ってあげるから」
と言って、ぐずるアタシを家から引っぱり出した。
その角にくるとアタシが
「次の角まで」とものすごく悲しそうに泣くので、もういっこ向こうの角までと約束し、
でも次の場所に着くとまた同じこと。
「本屋さんの前で終わり、そこからひとりで行きなさい」
とかなり厳しく言い聞かせて、うなずくアタシの手を引いた。

それでもその店の前に着くとやっぱりしがみついて離れず
結局母は幼稚園の教室までアタシを連れて行くはめになる。
「先生にアタマ下げてビービー泣くあんたを振り切って家に帰ったら、あんたは先にちゃんと戻ってた」
そう言う母はちょっと嬉しそうだった。

アタシが先に帰ってたというそのオチは少し眉ツバに思えるけど、覚えてないので反論のしようもない。
覚えているのは幼稚園が恐ろしかったこととそこまでの風景の断片だけ。
色褪せてあちこち崩れたレンガ塀とか、ずんずん近づいてくる曲がり角とか、
青石の門柱の陰にいつもいる不機嫌な犬。
そういえばあの水色のスモック、袖口のゴムのあいまいな窮屈さが嫌いだった。


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そんな「脱走」は小学校2年くらいまで続いて、理由は予防注射だったり跳び箱だったり、時には「忘れ物したから」だったりしたらしい。そんな情けないこどもでもなんとか生き延びるもんで、今は逃げ帰ることもなく、ちーんとすました顔で社会人やってます。 ニンゲンて不思議だ。






( 2012.03.07 ) ( memory lane ) ( COMMENT:8 ) ( TRACKBACK:1 )
Valses Sentimentales
母が再婚したひとと住む家は私鉄の沿線にあって、もうずいぶん昔、アタシはその家にやっかいになったことがある。アメリカから舞い戻った時で、アパートを探す間、2ヶ月ほどだったか住まわせてもらった。

その家では、夜になりまわりが静かになると電車の音がよく聞こえ、その頃アタシはそんな音を聞きながら自分の行く末やらをけっこう深刻に心配していた。最終電車が12時すぎに通った後のそのあたりは、たまに近所の犬がべう、べうと遠慮がちに吠えるくらいで、4時半ごろの始発まではしーんという音が聞こえるほど静かだった。

かたたん、かたたん、と近づいてまた遠ざかっていくその響きがさびしく、それでも最終電車の後の静寂はもっと耐えられないので12時前に眠ってしまおうとやっきになったけどもちろん逆効果で、うとうとしていてもあの音が聞こえるとはっと目が覚め時間を確かめてしまうのだった。

朝になるとその電車に乗ってバイトに出かけた。電車に乗ったら乗ったで窓から母の家を探した。夜に寝どこで聞いたその音に今度は揺られながら、あんな小さな屋根の下で本当に母は寝たり起きたりしているのか、アタシがさっき汚したお茶碗を今頃洗っているんだろうかとかそういったことを、取り返しのつかないようなせっぱつまった気持ちで考えたりした。

今年こそは一度帰ろうと考えてたら、この頃の自分を思い出して笑ってしまった。よくもあれほど生真面目に感傷に浸れたものだと呆れる、でもかと言って今の自分があの頃に比べてちゃんとおとなになっているとも思えない。次に帰った時、あの電車の音にどんな感じがするのか楽しみのようなそうでないような。


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( 2012.01.07 ) ( memory lane ) ( COMMENT:8 ) ( TRACKBACK:0 )
あれから10年
9.11からちょうど10年、
public radio では特別番組が組まれて、いろんな人がインタビューされていた。アタシは午後ずっとキッチンにこもって料理しながらひとりひとりの言葉を聞いた。厳粛な気持ちで聞いた。消防士の人、警察官の妻、証券マン、イスラム教徒の男性、その時8つだった女の子。その人たちのあの時と今。そのひとつひとつが悲しく、やさしく寂しく、頼もしくて暖かくそして痛かった。

アタシはあの日、相棒と合流してクイーンズへの橋を歩いて帰った。高く深い青空と南に上がる黒煙を茫然と眺めたこと以外、自分が何を思っていたのかはっきり思い出せない。あの時うちのネコは2歳で、あいつはまだとても元気だった。そしてひとりになった今、あの日に大切な人を突然奪われた何千人もの人の苦しみが少しはわかる自分になったかなと考える。


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( 2011.09.11 ) ( memory lane ) ( COMMENT:6 ) ( TRACKBACK:0 )
今だから言うけど
この目はいつか
永遠に閉じられる
この指はいつか
固くこわばってしまう
アタシを笑わすこんな言葉が
聞こえなくなる日がそのうちくる
今となりにいる
このひとをアタシは
なくしてしまう
たぶんもうすぐ

今だから言うけど
あの頃はよく、
そんな野分のような一瞬の思いに襲われて
そのたんびにアタシは
顔をそむけた
風にまじった砂粒が当たらないように

そして
その時はわりとあっさりやって来て
通り過ぎていった
生き残ったアタシたちは
茫然として
静かに家に帰った

病院の前でタクシーを拾った
道が混んでいたので
アタシはドライバーに言った
「橋を渡りきったら高速に入らないですぐ右に下りてください」
ごく普通の声で

でもそのあとが思い出せない


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( 2011.06.17 ) ( memory lane ) ( COMMENT:5 ) ( TRACKBACK:0 )
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