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虹とHowler Monkeys
Belizeという
夢のようにきれいな国に
howler monkeyの群れが住んでいる

この猿たちは普段
日がな一日寝て暮らすのだけれど
夕立がやってきて
雨があがるといっせいに起きだして
高い木の梢に登り
空に向かって吠える

7つの不思議な音を全て歌い終わるまで
猿たちは吠え続ける
その声は
虹になって空を渡る

それが
虹がなないろの本当の理由。
(時々音程の順番を間違えて、虹の色の並びが変わったりするのでご注意)




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( 2011.02.28 ) ( daydream ) ( COMMENT:6 ) ( TRACKBACK:0 )
遺跡発掘現場にて
むかし、遺跡発掘現場で2ヶ月ほどバイトをしたことがある。雇用主は県の文化遺産課だかで、もう忘れたけど「ナントカ遺跡発掘調査ナントカ」とかいう大仰なプロジェクト名がつけられていたような記憶がある。友だちがその仕事を見つけて来て、ふたりいっしょに採用された。

季節は春だったと思う。 仕事は、発掘現場のとなりに建てられたプレハブ小屋で、土器のかけらに出土位置のコードを書くことだった。アタシたち以外にも同じ作業をする人が10人ほどいた。プレハブはその広さも中の様子も学校の教室そっくりだった。机といすもどこかの中学校あたりから持って来たに違いなく、それも、黒板があるべき壁に向かって全部同じ向きに並んでいて、さすが県の文化遺産課、と思った。

部屋の隅に、かけらが入った小型バケツがいくつも置かれて、それをめいめい机に持って行って作業する。バケツにはアルファベットと数字が混ざった6桁か7桁のコードが書かれた紙が入っていて、そのコードをひとつひとつのかけらに白インクをつけた細い細い筆で書いていくのだった。初日でかなり後悔した。学生でもないのに教室に並んで、なんだかわからない土色の粒に一日中黙々と細かい字を書く。それも小さいものは直径何ミリしかない。3日やると人間らしさを失う。

そこでは、友だちとアタシが一番若く、他は全員近所の奥様がたでやっぱりボスのような人が自然と決まって、その人がちょっとした先生役というか監視役というかそんな役割を勝手に買って出て、休憩時間にはお茶当番みたいな人も現れ、時々おやつをくれたりもしたけど、作業中は友だちと話もできない雰囲気でかなり窮屈だった。

いい天気の午後、気がつくとかけらが真っ白になっていた。筆をかけらに押しつけて眠っていたのだった。どうしようと一瞬思ったあと、まわりをそっと伺いそのかけらを机に置いて筆のお尻で押しつぶした。粉々になるまでにじにじやって後は何気なく手で粉を机から払い落とした。なんだ、これで問題解決。ボス奥様の横顔に向かって、人間奪回、と小さくつぶやいた。

その後はもうおわかりですね、小さなかけらはすべてその方式で、あるいは窓からぽいっと投げて土に還し、そ知らぬ顔してバイト料をもらっていたアタシでした。しばらくして別の部屋に移り、コード記入の済んだ欠片を貼り合わせて土器を再現する、という作業もやったけど、これは楽しくて真剣に取り組みました。

アタシが葬った土器のかけらを掘り出した人には大変申し訳ないことをしました。




( 2011.02.27 ) ( memory lane ) ( COMMENT:2 ) ( TRACKBACK:0 )
川っぷちの街
アタシの家の前の道を2ブロック西へ行くとイーストリバーにぶつかってその道は終わる。普通の交差点をトラックが横切るように、道の向こうをタグボートに引かれたタンカーが横切ったりして、そういった船を見たらラッキーな日、と思い決めている。対岸はマンハッタンで、そのまた向こうにはハドソン川が流れている。ハドソン川は「クイーン・マリー号」などの豪華客船や高級ヨットが行き来する、上流階級向けの川という感じがする。

それに比べてこちら側、イーストリバーは貨物船や産業用船が多い。アタシの住んでるこの地域はその昔、造船業の中心だったらしくて、それに携わる人たちのために1886年に建てられた、当時は大変モダンだったという大きな集合住宅があり、その建物は今も歴史的建造物としてこの街が語られる時いつもその名前が言及される。

アタシが住んでるこのアパートも多分その時代に建てられて、やっぱり造船関係の家族の家だったんじゃないかと思う。ちょっと怖いお父さんと話し好きのお母さんと、元気な子供が3人くらい、とか想像するのもけっこう楽しい。大理石の暖炉があり、壁や天井のしっくいに繊細な装飾が施されていて、ちょっと傾いて壁にひびが入ったりしているけどとっても気に入っている。川のすぐ近くでタグボートも見れるし、アタシは多分NYにいる限りずっとここに住み続けると思う。


この階段の手すり、このカーブ、美しいと思いませんか?
これも船を作る技術のうちのひとつだそうで、階段を上りながら手をあてて滑らせると、手触りはあくまでもなめらかで、当時の職人さんの誇りが伝わってくるような気がします。

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( 2011.02.26 ) ( today ) ( COMMENT:5 ) ( TRACKBACK:0 )
ひとりの時間
詩人のマリー・オリバーという人がそのエッセイ Blue Pastures の中で、創作的な仕事には、長く切れ目のない孤独の時間が必要だと言っている。

彼女自身の言葉を要約すると、創作活動とは「空ぜんたいが(心に)飛び込んで来て、その空を高いところへ昇らせること」で、「それが終わるまで誰の目にも触れない隔離された場所(時間)が必要」という感じになる。(訳が拙くてすみません)

形あるものないもの全て含めた、モノを作る人、それを職業としている人もそうでない人も、そんな人すべてにこの言葉はあてはまると思う。プロとそうでない人の間には「お金の介在の有無」があるだけでそれ以外は何の違いもない。絵を描く人、哲学をする人、写真を撮る人、設計する人、レースを編む人、音楽を作る人、言葉を書く人、いすを作る人、花を生ける人、布を染める人。(きりがないのでこの辺で)

今は、たくさんの人が自身のブログを持っていて、ページ更新の後ろにはその人にとっての「空の昇華作業」が行われた、ひとりの時間がかくれている。そういう時間を大切にする人が好きで、そういう人が作ったモノを見て喜んだり笑ったり、シンとなったりする時間がアタシにはとても大切だということに、このエッセイを読んで改めて気づいたと、そういう話です。






( 2011.02.23 ) ( on this side ) ( COMMENT:8 ) ( TRACKBACK:0 )
耳の記憶
この2日間、強い風が吹いている。
ゆうべもその前の夜も風のうなる音がずっと続いていた。

風は電線を震わせ、ゴミ箱を転がし、壁にぶっつかって、窓枠の小さな隙間を鳴らしながら次々と吹いてくる。それは理屈を超えてなんだか禍々しく恐ろしい。風の音はもしかしたら、大昔に始まった、からだの一番奥底にある恐怖の記憶を呼び覚ますんだろうか。

夜中にそんな風のうなり声を聞きながら、もし自分がどこかの洞窟に住む原始のヒトだったらと思った。暗い穴の奥で目だけぎらぎらさせながらじっと耳を澄ましている自分。風の音の向こうの獣の気配に怯えながら穴の入り口を見つめ、ただただ朝を待つ自分。ああ、ここは西暦2011年でアパートに住んでて電気も暖房もあってネコもいて本当によかった。窓の外には街灯もともっているし。

ずっと前、最初に日本を出る前、いろんなことを憶えておこうと思って河川敷に行った。なぜ河川敷かは自分でもわからないけど、とにかく川を見ておこうと思って行った。河原に座って、水に映る空や対岸の建物や川面の波や背のたかい草、小さな魚の群れ、犬を連れた人やら遠くの空を横切る飛行機やらをけっこう長い時間見ていた。

ひとしきり見たあと、そうだ音も憶えておかないとと思い目をつぶった。波が河原の石をあらう音、橋を通る車のタイヤ音、カモメの鳴き声、土手を通り過ぎるバイクの音、後ろの遊歩道を走る人の足音、子供のさわぐ声、ボートのエンジン音、いま憶えているだけでもこれだけある。その時、この世は音であふれてるんだなあと妙に感心した記憶がある。

春の、晴れたあたたかい午後だった。不思議なのは、見たものよりも音の方をよりはっきりと思い出せることだ。日を浴びた土と、海水の混じった水の匂いも鮮明に思い出すことができる。

あの日、河川敷で長い時間を過ごした自分の行為に今とっても感謝している。(その日のことを日記に書いた覚えがあるけど、その日記がどこに行ったかわからない)

    -- after Takeshi Kaiko, with admiration.(遠く及びませんが)





( 2011.02.20 ) ( memory lane ) ( COMMENT:7 ) ( TRACKBACK:0 )
声のゆくえ
失意の歌うたいが
村はずれの森に行き
小道の奥のひだまりに穴を掘って
自分の声を埋めた

それを掘りおこしたのは
となり村の赤ギツネ
キツネは三日三晩かけてその声でリポンを編んだ
その夜明け、できたてのほやほやを渡そうと
小川に沿った道を好きな娘の家へと急いでいると
トンビにリボンを横取りされた

トンビは崖のてっぺんの巣に帰り
自分のヒナにリボンをかけた
山の向こうからのぼる朝日に
そのリボンはにじいろに照り輝いた

巣立ちもまぢかなトンビのヒナは
背伸びをするように羽をひろげて
ヒュロロロロロと
高らかにひとこえ鳴いた

その声は
谷を渡って丘を越え
歌うたいがほおづえつく
その窓まで届いた


-- after Lorca, with respect.








( 2011.02.17 ) ( poem ) ( COMMENT:6 ) ( TRACKBACK:0 )
Valentine's Day Special
ニューヨーク市42丁目にあるグランドセントラルステーションでの、鳩と兵士の話。

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この駅の天井に近い部分、横に並んだ窓の上の装飾のくぼみに一羽の鳩が住んでいます。最初、この鳩はつがいでここにやってきましたがある日オスの鳩が食べ物を探しに出て行ったまま戻ってこなくなり、この鳩はその後、いなくなったそのオスを探しに行ったりぼんやりと巣から下を眺めたりして毎日を過ごしていました。

早朝から夜半まで毎日おびただしい数の人間が通るこの駅は、天井にいると人の声や音の集約が喧しく反響し、またひっきりなしにカメラのフラッシュが光るので決して居心地がいいとは言えませんが、いつかオス鳩が戻ってくるかもしれないと思うと、鳩はここを離れることもできないでいたのでした。

一方、下のフロアでは、警護の若い兵士が、あてがわれた機関銃を肩からさげて毎日任務についていました。兵士は壁際に立ち、訓練された目でまわりを警戒しながらも、時々天井に描かれた星座を眺めてはついこの間までいた戦場の星空とそこで失った友のことをよく想うのでした。

最初に気づいたのは鳩でした。中2階のバルコニーの手すりにとまっていた鳩は、すぐ下に立つ兵士に目をとめました。兵士の着ている砂漠色の迷彩服が、オス鳩の羽の色にとてもよく似ていたのです。「クークー」という鳴き声で上を見上げた兵士は、一羽の鳩が首をかしげて自分を見ているので少し驚きましたが、すぐに、この鳩は戦場で死んだ友に違いないと考えました。

それからこの鳩は日に一度、兵士の上のバルコニーに降りてきては「クークー」と鳴き、兵士も鳩を見上げて微笑むようになりました。鳩と兵士のあいだには言葉も約束もなく、一日のうちほんのわずかな時間を共有するだけなのですが、ふたりは心の中にともった小さな灯を大切に守りながら、このグランドセントラルの隅っこで今日もそれぞれの一日を送っています。

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I hope you all had a happy valentine's day.
                     タロコ




( 2011.02.14 ) ( stories ) ( COMMENT:3 ) ( TRACKBACK:0 )
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