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J.D. Salingerの孤独に捧ぐ
君がこの話をほんとうに聞きたいって言うなら、という半分逃げ腰の言い方でアタシたちをしっかりと捕まえてしまったサリンジャー。そしてライ麦畑、というよりもニューヨークの街のただなかに引っぱり込んで、ページの中の人たちの話や息づかいをすぐ横で聞かせてくれたサリンジャー。

彼が死んでもうそろそろ2年になろうとしてる今もなぜか時々考えてしまう。
「ライ麦畑でつかまえて」が出てまもなく、ニューハンプシャーの片田舎に引っ込んでしまったひと。それから50年も高い柵をめぐらした家でひっそりと暮らしたひと。有名人になることを拒絶し続けたひと。孤独な偏屈男。

死んだ人の方により深い親しみを覚えるのは寡婦にありがちなことらしいけど、アタシは、夜な夜な鏡の前に立ってこの人の孤独を身にあてがい、ためつすがめつしている。ひと晩ずつ、それが似合う自分になっていく気がする。人よりも人の紡ぎ上げた言葉に恋い焦がれたりして、このままだとアタシも偏屈老人への道をまっすぐ進むしかない、時間に背中を押されて。


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サリンジャーなら「くだらない」としかめっ面で一蹴するんだろうけど、
とりあえず、Happy Halloweenです。



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( 2011.10.30 ) ( bubble ) ( COMMENT:7 ) ( TRACKBACK:0 )
アタシのめまいに捧ぐ
人間はみな耳の中に海を持っている
その入り江の奥のほこらには
小さな水晶が祀られて
万物の平衡を司る
それが時々玉座から飛び降りて
あっちへ転がりこっちへ転がり
そうして迷子になってしまう

医者の説明を翻訳すると
このごろのめまいは
どうもそういうことらしい


ときどきアタシは
体の傾いたガリバー



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( 2011.10.28 ) ( poem ) ( COMMENT:4 ) ( TRACKBACK:0 )
Halloween Dog Parade
昨日、Halloween Dog Paradeなるものがイースト・ビレッジであって、友達夫婦が姫をつれて行くというのでひょこひょこついていった。

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「この衣装にするか別のにするかで夫婦喧嘩したんですこのふたり。どっちでもええやん」

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「今日ちょっと肌寒いのでジャケットありがたいっす」

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「そうよ、かなりめんどくさいわよウチの飼い主」

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「なんだありゃ」「なんだありゃ」「えっ、どれどれ」

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「ミツバチで悪いか」

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「ごはんください

友達んちの姫、大きくなりました。
やっぱりこの子が一番かわいい。べっぴんさんでしょ。




( 2011.10.23 ) ( today ) ( COMMENT:8 ) ( TRACKBACK:0 )
行くみち 帰るみち
行くみち

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前を歩くひとの足どりがちょっとうわの空で
長い髪のあいだから
ものおもう想いの影が見えそうだ
灰色の朝のなか揺れてゆく赤いスカートとふたつの丸いかかと

いろんなものを隠し持ち
ひとは今日も素知らぬ顔で働くのです。


*********************************************

帰るみち

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今すれ違ったふたりづれは
つないだ手と手で話しているのだきっと
ふたりそれぞれ道の先を見ながら
手のひらたちが交わす会話に耳を傾けている
自分たちにしか聞こえない声、そうに違いない

そのふたつの手が離れるのとアタシが家に着くのと
どっちが先だろうかなんてこと思ってしまった
一日の終わりのくたびれた頭で。





( 2011.10.21 ) ( bubble ) ( COMMENT:2 ) ( TRACKBACK:0 )
旅をしてきた本
古本屋で買った本のページに白い紙が2枚挟まっていた。
書店の検索サービスのプリントアウトだった。一番上に、MARUZEN丸の内本店、とある。
一枚は、今アタシの手元にある、星野道夫「旅をする木」というエッセイ、もう一枚は、同じく星野道夫の「長い旅の途上」という写真論の本を検索したものだった。それぞれ、その本が何階のどのあたりにあるかが書かれてあり、売り場の略図もついている。

日付は2006年11月1日、11時57分、たぶん午前だろう。
ほぼ5年前、東京の真ん中でこの本を探した誰かが確かにいたんだなと思った。同じ著者の本を2冊探すということは、その誰かは星野道夫のファンか少なくとも何かこの著者への思い入れを持っていたんじゃないか。そのひと自身も写真を撮るひとだったのかもしれないし、旅するひとだったかもしれない。それともアタシのように、冒険家に憧れるただの平凡なおばさんで、ささやかな非日常のいっときが欲しくてこの大きな本屋に通っていたのかもしれない。そしてもしかしたらその日は静かな雨が降ってて、そのひとは薄手のコートを着て傘をたたみながら書店の自動ドアをくぐったかもしれない。

その時から5年が経って、2冊の本のうちのひとつはニューヨークの古本屋に持ち込まれて、今はアタシの家にある。窓の向こうの家の灯りに目をやりながらこの本のたどって来た道すじとかをアレコレ思う、
そんな秋の夜長となりました。


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( 2011.10.18 ) ( on this side ) ( COMMENT:6 ) ( TRACKBACK:0 )
Cliché
取り残された夕陽のしっぽ
蒼い雲間のわずかな朱いろに
なんだか焦る
すっかり夜になってしまえば
どうってことないのに

私のすべては
ありふれた
月並みな
100万遍繰り返されて
腐ってしまった
Cliché

家に着いたら
靴もかばんも放り投げて
きのうの続きを読もう
月よ ついてくるな
言いたいことはわかってるから



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それでも私は歩かなきゃ
語り尽くされたClichéの日々を






( 2011.10.15 ) ( poem ) ( COMMENT:4 ) ( TRACKBACK:0 )
ハドソン川沿いの小旅行
Grand Central Terminalから Metro Northという電車に乗って、友だちと小さな旅行に出かけた。
ハドソン川に沿ってたった1時間半ほど列車に乗ると、金色に光る草の丘に立ち紅葉の始まった山を眺めることができる。

Storm Kingというちょっと禍々しい名前のついた、彫刻の森のような所へ行った。広大な敷地にインスタレーションが散在している。アタシにはなんだかわけのわかんないものがいっぱいで、うわっと思ったのは数えるほどだけど、田舎の野原に真っ赤な鉄の作品が突然現れたりする違和感はなかなか楽しかった。

イサム・ノグチの「ももたろう」という作品もあった。たねにみたてた部分が空洞になってて、子どもたちがそこに入って遊べるようになっている。そういえばうちの近くに彼の美術館があり、昔は自由に触ってよかったのに、今はもう作品に手を触れるのは禁止されている。他のものはどうか知らないけど、石ってのは人や風や雨に触れられてその存在を全うするものじゃないのかなあ。(ですよねイサムさん)

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草の向こうに連なる緑の波、これも作品、美しかった。でも名前は忘れた。


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左側の小さい影は作品じゃなくてヒトです、念のため。


次の日、そこからまた30分ほど北上、Woodstockの知り合いの所に行った。ついでにあの1969年の伝説のコンサートの場所を見ておきたいと思ったら、あのフェスティバル、実はWoodstockじゃなく、50キロくらい離れたBethelというところで行われたと聞いてびっくりした。知ってました?






( 2011.10.12 ) ( on this side ) ( COMMENT:4 ) ( TRACKBACK:0 )
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